2016年6月9日木曜日

脳死 と 知恵の海 と あなた と わたし



 脳死、という状態について調べていて思ったことがありました。




 永遠なんてない。「人間」も「世界」も、ゆらゆらとバランスを保って生きている。


 人間、体が「冷え過ぎ」ても「熱過ぎ」てもいけない。

 水が豊富過ぎて腐ってしまう植物に、水が少な過ぎて枯れる植物。

 一日中、日が照っていても、いけないのに。一中日が照らなくても、いけません。



 記憶が定着しすぎても、大変でしょうが。 忘れ去られては、苦しい人が大勢でます。


 永遠を手に入れれば、と思う人も。 永遠を手にすれば、平坦な世界しかありません。




 感情は、海のようだと思いました。
様々な知識経験知らないことを含めて、ひしめき合い、揺れる海ではないでしょうか。

 その複雑で適当な波から、結果(解)が生まれるのだと思います。


 だって、新しい経験がその海に入ってこなければ、波は立ちません。
波は、好奇心なのではないでしょうか。




 考えれば発熱を起こす頭。記憶の海に「感覚」という経験の注ぎによって、波が生まれます。

 水だって小さいながら摩擦します。摩擦をすれば熱を生みます。
このことから、海は温まってゆくことで知恵熱を起こすような仮説を立てました。


 考えることは、知恵の海を掻いて理解を探す。事なのでは、と今は考えています。



 脳死は、脳が部分的に壊死する事例があるそうです。

 大脳と呼ばれる場所で、物を考え、記憶する。知恵の海があるとして。
 脳幹と呼ばれる場所が、呼吸・循環機能の制御、伝達をしているらしく。

 脳幹が壊死してしまえば、呼吸が止まり次には心臓までもが止まってしまうそうです。


 ですが、脳の中で脳幹のみが活動を続けている状態があり。それを、植物状態と呼ぶそうです。
この状態、つまりは、生きていく為に必要な、体の循環制御は出来ているものの、知恵の海が止まってしまっている状態です。


 でも、逆は余り無いのだそうです。今の時代、呼吸器や心臓の代わりに成りえる物はありながらも。
脳幹が壊死しても、その他大脳などが活動を続ける事はなく、続いて壊死していくそうなのです。


 脳幹が無くなってしまえば、大脳の知恵の海にもたらす影響が無くなり。考える事もなければ生を実感することも出来ないのが理由なのではないでしょうか・・・



 人間は、動いている物の判断が得意と聞きます。それは、ゲシュタルト崩壊の理由でもありますが。
 人間の知恵の海が動き続けているから、ではないでしょうか。

 カメラのピンぼけ回避の技術にあるように、動いているのなら動きに身を任せて被写体をとらえるのが、利口な手口です。

 人間の記憶も、ぐにゃぐにゃと動いているものなんじゃないでしょうかね?

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